現代における精神の道
ズィガー・コントゥル・リンポチェ
「瞑想修行で最も重要なのは、五感を通じて認識する外側の事象と、思考や感情など内面の事象を、良い悪いの分別なく、自由に現れるのに任せることができるかにある。瞑想のプロセスを通じて、一見、脅かすように思えるものを拒絶したり、一見、頼りになりそうなものを引き寄せようとせず、何の手も加えることなく、現れてくる事象をあるがままに観じるとき、心の本来の裸のままの完全な状態を体験することになる。アートも同じで、美しい、醜い、「こうあるべき、こうあるべきでない」といった概念を被せることなく、心の本来のエネルギーを表現できるとき、そのような作品は見る者に、生来の無為で自然な目覚めた状態を体験させることができる」
(ズィガー・コントゥル・リンポチェの書籍、『Natural Vitality』より)
ディルゴ・ケンツェ・リンポチェ
弟子としてのコントゥル・リンポチェ
「私自身も、我が師ディルゴ・ケンツェ・リンポチェにお会いするときはいつも、彼の落ち着きと、明晰さ、広大さから、自分の利己心が浮き彫りにされるような感覚を覚えました。私の話がどれだけ重要に思えたとしても、彼の前に行くと、いつも自分の自己中心的な心が見透かされているような気になったものです。これは、師弟間で交わされる無言のコミュニケーションであり、私が師から学んだ方便の一つでもあります。
この種のやりとりは、師と別の人の間でも交わされていました。あるときなど、完全に心を取り乱し、ほとんど錯乱状態になった人が、彼の存在に触れるだけで、すぐさま落ち着きを取り戻していました。これが、「師を鏡とする」ということの意味するところです。師によって、私たちは行き詰まった心についての気づきや理解を得られるだけでなく、心の本来の健全さも教えられます。これこそが、師弟関係を築く最大の目的であると言えるでしょう。」
-『It's Up to You: The Practice of Self-Reflection on the Buddhist Path』(ズィガー・コントゥル・リンポチェ著、Shambhala Publications: 2005)からの引用
ドゥンセ・ジャンポール・ノルブ
ズィガー・コントゥル・リンポチェのご子息であり米国MSBの後継者であるドゥンセ・ジャンポール・ノルブ氏(ドゥンセラ)は、近年でこそアジアを訪れることが多いものの、その人生のほとんどを米国コロラドで過ごしています。「いつから仏教を学んでいるのか」と問われれば、彼はおそらく「生まれてすぐ」と答えるでしょう。父コントゥル・リンポチェから様々な教えや伝授を、昼夜問わず―ときにはクレストンの山々を散歩しながら―授かっているからです。
コントゥル・リンポチェはまだドゥンセラが幼少のころ、根本ラマであるキャブジェ・ディルゴ・ケンツェ・リンポチェより、ドゥンセラを系譜の継承者として育てるよう指示を受けました。ドゥンセラはその後、インドや米国におけるシェダ(伝統的な学習課程)など、コントゥル・リンポチェより様々な導きを受け、現在は、コロラド州にあるリトリートセンター『ロンチェン・ジグメ・サムテン・リン』にて毎年百日間のリトリートを行いながら、世界各地にて法話を説いています。彼のテーマは「仏教の教えがいかに日常生活に役立つのか」であり、説く内容は個人的な体験に根ざしたものです。彼の法話はまったく新しい視点をもたらし、智慧とユーモアに満ち溢れています。
キャブジェ・ディルゴ・ケンツェ・リンポチェは涅槃に入る三週間前、ドゥンセラの将来について記した手紙をコントゥル・リンポチェに手渡しました。
コントゥル・リンポチェは次のように述べています。「この手紙は、私が根本ラマであるケンツェ・リンポチェに最後にお会いしたときに頂いたものである。それは彼の最後のリトリートの最中のことで、彼は言葉を一言も発することなく突然この手紙をしたため、私に手渡してくれたのだ。私と妻のエリザベスは、その時以来、この師の最後の言葉を心に留め、ジャンポールとも話し合いながら、その助言の実現に努めてきた。ジャンポールはこれまでに何人もの偉大なラマから彼らの師の化身(トゥルク)と認定されているが、私にとっては彼をケンツェ・リンポチェの伝統に則って訓練していくことが最優先と考えている。」
「コントゥルラ、お前のロンチェン・ニンティックの前行とその一連の修行を実践しようとする気持ちはとても素晴らしい。トゥクドゥプ・ジュンチ・コルチャンを毎日欠かさず行じるように。米国に仏法を学ぶ基盤を設立できるなら、それも素晴らしいことだ。
お前の父の故郷やお前の先代の僧院を何度も訪れ、よく見て回るといい。そこでシェダ(修学)やドゥプダ(修行)の伝統を再興できるのならそれも素晴らしい。そうすれば僧院も安泰だろう。
お前の息子については、僧侶でもンガッパ(在家行者)でもいい、お前の受け継いだ法脈を守る師となるように育てることだ。これには大きな利益がある。それが実現するよう、この年老いた父は決して忘れることなく、祈りを捧げている。どうか加持と加護があらんことを。」
ロンチェン・ニンティック系譜
ロンチェン・ニンティクは、18世紀の埋蔵経発掘者(テルトン)、持明者ジグメ・リンパにより発見された埋蔵経(テルマ)に依拠する法脈です。ジグメ・リンパは、サーダナ(成就法)、教説、真髄の秘訣からなるこれらの埋蔵経を、グル・パドマサンバヴァ、ダーキニ・イェシェ・ツォギャル、一切智者ロンチェン・ラブジャム、その他の数多くの導師のビジョンから直接授かりました。ジグメ・リンパは、8世紀のチベットの法王ティソン・デツェンの化身で、そのティソン王は、チベットに仏法を堅固に根付かせるべく、グル・パドマサンバヴァをチベットに招来し、チベットで最初の僧院となるサムイェーを建立させた人物です。
グル・リンポチェは、多くの埋蔵経を王と弟子の心相続に埋蔵し、後にその教えを広めるのに最適な状況が整った時、彼らの化身が発掘するように封印しました。ジグメ・リンパは、このような心の埋蔵経の発掘者として、多くのロンチェン・ニンティクのサダナ(成就法)を発掘しています。
ロンチェン・ニンティクの体系は、ニンティク、またはアティ・ヨーガの最深の教え「ゾクチェン(大いなる完成)」の名で知られます。ロンチェン・ニンティクの教えが初めてこの地上にもたらされたのは、ジグメ・リンパがサムイェー近郊の洞窟、サムイェー・チンプで3年間のリトリート(隠遁修行)を行っているときのことでした。彼は、14世紀のアティ・ヨーガ導師、一切智者ロンチェン・ラブジャムに向けられた一点の献身により、3度、ロンチェンパの智法身のビジョンに出会います。この体験を通じて、水が器から別の器に注がれるように、ロンチェンパの教えとアティ・ヨーガの悟り「ゾクチェン」の一切がジグメ・リンパの心に伝授されました。
導師(ラマ)への揺るぎない献身を、勝義諦を了解する最も重要な手段と位置づけるこれらの教えは、今日においても、深甚なるロンチェン・ニンティク体系の心髄となっています。ロンチェン・ニンティクは現在、現存する数多くのニンマ派の法脈の中でも最も幅広く実践されている伝統のひとつであり、その深甚かつ本質的な点から、チベット仏教四派の多くの導師や僧院によって実践されています。
ロンチェン・ニンティクの法脈について詳しくは、『Masters of Meditation and Miracle』(Tulku Thöndup著)を参照ください。
仏教について
仏教は、約2500年前(紀元前5世紀)、インドの王子、ゴータマ・シッダールタがガヤの菩提樹の下で悟りを開き、その後サルナートの鹿野苑で、自らの体験に基づき、ごくシンプルな教えを説いたのが始まりとされています。彼の悟りは深甚(大変深いもの)であったため、彼は「目覚めた者」、ブッダとして知られるようになりました。ブッダの教えは、物事の真理を意味する「仏法」と呼ばれ、日々の体験や心に直接取り組むことで苦しみを離れる、極めて実践的な方法を説き明かしています。
ブッダが、自らの身体、心、現象世界を調べることで発見した真理は、宗教や哲学、心理学と言うよりは、「生きるための指針」、「覚りへの旅」と表現するほうが相応しいかもしれません。彼は「生きとし生けるものには本来、智慧、慈悲、力が具わっている。しかし、一時的な汚れに覆われているため、苦しみを体験している」と説き、その汚れを取り除き、本来の徳性を顕わにする道を明らかにしました。この覚りへの旅は、エゴの固定観念や、良い悪いの分別を離れ、物事をあるがままにし、その本性にくつろぐことを目指します。そのために、ブッダは特性や目的の異なる人々に対し様々な教えを説きましたが、それらは一般的に3つに区分されます。
上座部仏教:ブッダの根本的な教えで、個人の解脱を目指す乗り物(小乗とも呼ばれる)
大乗仏教:生きとし生けるものへの慈悲と、物事の究極の本性を分析、理解することを重視する、生きとし生けるものの覚りを目指す乗り物
金剛乗(密教):目的は大乗と同じだが、そこにすみやかに行き着くための様々な方便を有する乗り物
現在、インドで始まった仏教はアジアの多くの国々、また近年では西洋にも広まりましたが、上座部仏教は主に東南アジア(スリランカ、ビルマ、タイ)、大乗仏教は東アジア(日本、中国、韓国)、金剛乗はネパール、チベット、ブータン、日本で実践されています。
チベット仏教
チベット仏教は、これら3つの乗り物を包括的に取り入れ、この三乗を仏教の実践と教学の段階的な道と捉えている点が特徴的です。
チベットに仏教が初めてもたらされたのは7世紀のこと。チベットのソンツェン・ガンポ王がチベット統一を果たした際、ネパールと唐から嫁いだ2王妃の勧めで仏教に帰依し、首都ラサにトゥルナン寺を建立しました。ティソン・デツェン王の代には仏教が国教と定められ、インドからナーランダー大僧院の長老シャーンタラクシタとパドマサンバヴァを招聘し、大僧院サムイェー寺を建設、顕密(大乗顕教と金剛乗密教)の仏典がチベット語に翻訳されました。その後、王朝の滅亡とともに、仏教は一時衰退しましたが、11世紀になるとインドから入国したアティーシャらによって、仏教の再興がなされました。特に密教に関しては後期密教の教えを広範に受け入れ、独自に消化した点、顕教においては中観派の思想を含む、インド大乗仏教の系譜を継承・保全してきた点も大きな特徴です。また、顕教に関しては、存在・認識についての教学・論争による論理的思考能力と正確な概念知の獲得を重視しています。その思想の骨格となる重要な論書としては、シャーンティデーヴァの『入菩薩行論』 (Bodhisattvacaryāvatāra) 、マイトレーヤの『究竟一乗宝性論』(Uttaratantra Shastra )『現観荘厳論』(Abhisamayalamkara)などがあるほか、アティーシャらが説いたロジョン(心の修行)の教えが重視され、全宗派で修習されています。
現在大きく分けて、ニンマ派、カギュ派、ゲルク派、サキャ派の4宗派が存在します。
ニンマ派
ニンマ派は、パドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)を宗祖とし、タントラと埋蔵教典(テルマ)に依拠する宗派で、「ゾクチェン」(ゾクパ・チェンポ、大いなる完成)を最奥義とします。ニンマ派の中にも、カンドゥ・ニンティクやビィマ・ニンティク、ロンチェン・ニンティクなどいくつかの系譜が存在します。
ロンチェン・ニンティク系譜
ロンチェン・ニンティクは、18世紀の埋蔵経発掘者(テルトン)、持明者ジグメ・リンパにより発見された埋蔵経(テルマ)に依拠する法脈です。ロンチェン・ニンティクは現在、現存する数多くのニンマ派の法脈の中でも最も幅広く実践されている伝統のひとつであり、その深甚かつ本質的な点から、チベット仏教四派の多くの導師や僧院によって実践されています。詳しくはこちら